夏休み明けの全校集会

奮いたて!妻沼西中生

まずは、この夏休み、全国各地で、様々な自然災害が発生しました。

熊本県の地震、千葉県や北陸地方など大雨による水害などにより、大きな被害が出ました。命を落としてしまった人々のご冥福をお祈りするとともに、被害にあわれた方々にお見舞い申し上げるとともに、1日も早い復興を祈念申し上げます。

私たちが生活するこの地域は、こうした災害に見舞われることはなかったですが、いつ発生するかわかりません。本日、行われる避難訓練をはじめとして、普段から訓練と備えが大切です。また、こうした地域に生活する、君たちと同じ中学生に対して、できることはあるのか、生徒会などの委員会組織で相談し、実行してみるのもよいかもしれません。

さて、夏休み明けの集会で、校長先生からこのプレートについてお話しします。

妻沼西中学校の校長室に1枚の銅のプレートが保管されています。このプレートは、西中のプールの竣工式(1970年)において、本校第2代の校長先生である須田治郎先生が述べた言葉が刻まれています。

奮いたて妻沼西中生 

オリンピックの歴史上、日本選手が競泳に参加したのは、1920年からでした。この時、100m自由型に初出場の2選手は、予選で失格でした。しかし、1924年、1928年と出場するたびに、しだいに成績はのぼり、上位入賞者も出ました。1928年のアムステルダム大会では、海軍の水兵さんだった鶴田義行選手が、200m平泳ぎで日本人として初優勝、800mリレーに第2位、100m自由型に高石勝男選手が第3位、背泳では当時、中学4年生だった入江稔夫選手が第4位にはいり、「日本の水泳もなかなか強いぞ」。との印象を与えました。

1932年のロスアンゼルスにおける第10回大会での成績は、実に素晴らしいものでした。男子競泳6種目中、400m自由型をのぞく全部に優勝して、一躍「水泳日本」の名を世界にとどろかせました。1500m自由型に、15才の北村久寿雄選手が優勝し、17才の牧野正蔵選手が第2位。100m自由型に、16才の宮崎康二選手が優勝。100m背泳では清川正二・入江稔夫・河津憲太郎の三選手で3位までを独占しました。このように若い選手が大活躍する一方、数え年30才の鶴田義行選手は、200m平泳ぎにまた優勝しました。競泳の最後をかざる800mリレーに、日本チームは、従来の記録を38秒近くも短縮した8分58秒4という世界記録で優勝をかざりました。

このプール建設の当初から、妻沼西中学校整備後援会に、特にお願いして、プールサイドに立てていただいた3本のポールのうち2本は、8分58秒4にちなんで、地上8m58㎝としました。記録は破られるためにあるといわれていることにかんがみて、先輩の記録をつぎつぎと破る力をつけてほしいとの願いから、真ん中のポールは、やや高くして地上10mとしました。真ん中のポールには、日の丸をかかげようと思います。これは、日本人であることに誇りをもって努力し、プールを作ることにお骨折りくださった大勢の方々のご恩を考えて、自らきたえてほしいと念じてのことです。

奮いたて! 妻沼西中生。  多くの方々の期待にこたえるよう 大いに努力せよ

1970年7月13日 竣工祝賀式における学校長謝辞   根岸道之助 之を刻

このプレートは、プールの壁面にはめ込まれていたものだと思われます。そして、3本のポールとともにこのプレートは、いつの頃かの改修時に外され、今日に至っています。そして、西中のプールは、現在は使われていません。しかしながら、須田校長先生が、妻沼西中生に対して述べた思いは、現在の私たちも、しっかりと受け継ぐべきものであると思います。

さあ、奮いたて! 妻沼西中生。多くの方々の期待にこたえるよう 大いに努力せよ。

令和8年8月31日     校長 清水 利浩