夏休み中の全校集会
平和の尊さを受け継ぐ
今日は、夏休みの課題提出日です。夏休みも4分の3が過ぎました。
校長先生からは、戦争についてお話をします。
終戦前夜の1945年8月14日夜11時30分ごろ、グアム島の米軍基地を飛び立ったB29爆撃機、約80機が、熊谷の市街地に約8000発の焼夷弾や爆弾を落としました。熊谷の市街地は一面火の海となり、260名を越える方が命を落としました。熊谷の空襲は、戦争が終わるほんの数時間前の出来事でした。
今夏、熊谷市立熊谷図書館で「熊谷空襲の記憶と平和の継承展」が開催されています。パンフレットに、「なぜ熊谷が空襲に遭ったのか」を4つ取り上げています。 ①大都市だけでなく、熊谷などの中小都市も空襲して戦争を終わらせようとしたから。②太田市には戦闘機をつくる中島飛行機工場があり、熊谷にも関連する軍事工場が多くあったから。③県庁所在地と間違えられたから。④米軍は、熊谷を関東以北の軍事拠点とし、戦後の占領政策を優位に進めるようとしたから。とあります。熊谷図書館では、熊谷空襲をはじめとして戦争にかかわるたくさんの展示がされています。ぜひ、足を運んでみてください。
旧妻沼町域の被害は、『妻沼町史』に次のように書かれています。「当町が、アメリカから受けた被害は、中島飛行場爆撃の余波によるものであるが、1945年4月3日夜、妻沼の住居がB29の投下した爆弾の直撃を受けて全焼。2発目の爆弾は、刀水橋南側の橋台を爆破。3発目から斜直線にそれていき刀水橋の爆破はまぬがれた。この時中島飛行機小泉製作所は甚大な被害を受けた。」「1945年7月28日午後3時、町民が米軍艦載機グラマンの機銃掃射にあたり即死した。」と。
第二次世界大戦が終わり、80年となります。私たちは、戦争を体験した方々から、辛く思い出したくない戦争にまつわる記憶や体験を直接お聞きする機会は少なくなっています。3年生は、夏休みの課題で、戦争についてのレポートをまとめています。私たちは、「戦争の悲惨さ」を風化させることなく、次の世代に語り継いでいく使命があります。そして、「平和の尊さ」について考え、末永く平和を継承していく担い手とならなければなりません。
夏休みもあと10日あまりです。暑い日が続きますが、有意義な時間としてください。9月1日、元気いっぱいでスタートをしましょう。
<参考文献>
・『妻沼町史』(昭和52年3月発行)
・「第35回熊谷平和展~戦後80周年 熊谷空襲の記憶と平和の継承展~」パンフレット 令和7年7月 熊谷市立熊谷図書館
※パンフレットは、図書室にもあります。リーフレット13ページに「なぜ熊谷が空襲に遭ったのか」が記されています。